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経験と同一性

兄の友人はブログ更新の遅い駄目な奴だと、笑わば笑え
だが言っておくが、兄の友人は気分が乗ればいつでもブログを更新するのだ!

はい、どーも兄の友人です。
閲覧者のいないブログを更新する作業は非常に骨が折れますが、今日も今日とて
がんばって色々くだらない話をしていこうと思います。

で、今日のテーマは経験と同一性!でして、具体的にはどういうことなの?
というと、

経験→いわゆる人間の経験やその継承

同一性→機械などによる作業の同一性

みたいな感じで捉えてくれればよいと思うです。

たとえば天気予報があるじゃないですか。
これが経験によるものだと、予報する人が長年天気を見て、明日はこうなるぞ、
ってな感じで予測する、あるいは、その技術を後継者に教えることが経験による天気予報。
対して、同一性というのは、衛星飛ばして雲の流れやら各地の気温湿度を観測して
次の日の天気を予想する、ってことですね。

さて、ざっくりとイメージをつかめたところで、話の本題に入ると
実際の我々の社会では、経験よりも同一性が重視されているのではないか、ってことです。
身の回りのものを見てみると、どんなものにも大体”規格”みたいなものがあって
それを満たしていることが前提な社会が構成されておるわけですな。

ある意味では同一性というのは重要なものであるのですけれど、
兄の友人としては同一性を欠くことも時には必要ではないかと思うわけでして。



と、こんな感じで意味深な記事にしてみたらどうでしょうか!駄目でしょうか!



たぶん駄目そうなので、次回はもう少しがんばってまともな更新をします。
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シンプルかつエレガントに殴る

ねーねーおかーさーん。ボトルに詰めた時点でそれってもう天然水じゃなくね!?

兄の友人です。

たまには嘘ですと言わない生活を心がけてみようと、医者にも勧められたので今回は言いません。
今回のタイトル「シンプルかつエレガントに殴る」は神奈川県在住(18)の方から頂いたタイトルでございます。


嘘です


そういうわけで今日はなんと、あの集団と個人(わからない人は過去の記事を見てみよう!
ちなみに兄の友人もさっきまで忘れてたよ)の後編をやりたいと思います。
予告だけして完全に忘れていたなんてことはありません。べ、別にそういうわけじゃないんだからね!

さて、集団と個人の前半戦。ここでは主に集団と個人を定義し・・・・・・えーっと、その志向の変化がどうとかっていう話をしたんだと思います。たぶん。

で、まあそれがどうした、っていう話なのですが。
実は個人と集団の境界というのは非常に曖昧なものではないのでしょうか。
前回の話では個人が集団から欠ける、あるいは集団から個人が欠ける、といったパターンがどうとか言いましたが、ぶっちゃけ、個人も集団も常に”一つの個人”、”一つの集団”というわけではないのです。

どういうことかと言いますと、個人といっても、常に同じ顔をして同じ事を言うわけではないし、その個人が所属する集団だって一つだけではないよね?っていうことなんです。
具体的に言ってしまえば、家の中と外では違う顔をするし、学校にも行けば、部活だってやる。ってところですかね。
この場合の家の中と外は、親しい人との付き合い、社会的な付き合い、という風に頭の中で翻訳しておいてください。

しかしながら、個人は個人、集団は集団として一つ一つは別個の物として存在はしているわけです。
家の中と外で違う顔をするから別の個人ということにはならないし、学校のクラスと部活は違う集団です。
でも、非常に近しいものではある。つまりそこのところが曖昧なわけです。

あー、今回の話面白くないのでもうやめていいですか?
もう飽きた・・・じゃなくって論旨が定まってないし・・・。
言ってること矛盾はしてないけど支離滅裂ですよ?まあ続けますけど。

そう、イメージをするなら、個人というのは歪な形をした粘土です。見る方向によって全く違う形に見える粘土。そいつが、集まったり離れたりして集団を形成したり壊したり、ひいては社会とか世界とかそういうものになっているわけです。

どうでしょう。兄の友人としては全くこの話は納得できないのですが、皆さんもこの機会に集団と個人について身近な人と話して「あ、こいつウザイな」と思われてみてはいかがかしら。
今回は投げやりに終わらせました。次回の更新では「心太を食す」の続きでもやりたいと思います。

そんなわけで、兄と友人でした。あ、違った。兄の友人でした。

しーゆー


あー疲れた。。。

今を生きる

なんだかどこぞの映画みたいなタイトルですね。
はい、というわけで未来に生きる未来型兄の友人です


嘘です


今回のテーマは今を生きる! ということで、相変わらずお風呂で3秒くらい考えて思いついたネタで
頑張って更新していきますが、そろそろ「次回に続く!」の続きも書きたいような気がするので、
どうしようか現在進行形で悩んでます。別に疲れているので更新が面倒になったとかそういうわけでは
ありませんので。決して。


とりあえず更新してみただけだよバーカ!

心太を食す

うわっ…私の年収、低すぎ…?

心の明るさ節電中の兄の友人です。


嘘かもしれません


さて今回もくだらない話をガンガン進めていこうと思いますが・・・が・・・?
何かおかしい・・・最後の更新が・・・一ヶ月以上前・・・?

まあそれはおいといて、兄の友人は頑張ってネタを考えるのが面倒なので
最近こまめにメモを取るようにしました。
これが意外に効果がありまして、今手元にはたくさんのメモが届いておりまーす!
それじゃあさっそく一枚目のメモを開いてみましょう。
くだらないブログの管理人、兄の友人さんからです。

「カピバラの舞」

これは、コンビニのレシートの裏かな?赤いボールペンで潰れた文字が書いてあります。
わぉ!これは一体どういう意味なのかしら!

はい、さっぱり自分でも思い出せません。2枚目。

「耳鳴りがする」

どうでもいいです。
あまりにも不甲斐ない結果に兄の友人は地面に頭がめりこむほど土下座をしたい次第です。

これ以上どうしようも無いので、早速今回のテーマにいってみたいと思います。
今回のテーマはずばり、既視感です。
フランス語?でいうとデジャヴュ(だったと思う)
ここで知らない人のためにwikipedia先生の解説

既視感とは、実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じることである。

ちなみにその逆にジャメヴュというものがあります(見慣れたはずのものが未知のものに感じられること「未視感」)

wikiで概要を見るとそのあとに精神疾患がどうとか書いてあって、デジャヴュを体験したことのある兄の友人としては不安で仕方ないわけなのですが、今はそれは放っておきましょう。(ちなみに未視感は体験したことがありません。ゲシュタルト崩壊みたいな感覚なのでしょうか)

ところで、ファンタジー小説などでよく見られる、「宇宙5秒前創造説」みたいなのがありますよね。
実は宇宙はたった5秒前に誕生したものなんだけど、我々は宇宙が誕生した瞬間に”記憶”を作られているからそれに気づくことができないとか何とか・・・
まあこれがいわゆるデジャヴュに似ていることはやはりwikipediaで言及されているので、触れないことにします。

では一体何について話をしようというのか。
と、それが今ちょっと思いつかないので相変わらず投げっぱなしで次回に続く!


今回のまとめ

兄の友人の続く、は続かない。
ご飯は良く噛んで食べろよ!バーカ!

無知であるということ。あるいは知る前の状態

今週もやってまいりました兄の友人アワー!
パーソナリティは私、素潜りの達人こと兄の友人が務めさせていただきます!


ウソです


さてさて、前回のフリで集合だっけ・・・違う。集団と個人についての後編をやります!
と言ったような気がしますが、今日は気分が乗らないので全く違うテーマで更新いたします。
なにぶん気まぐれが信条の兄の友人としてはこれくらい朝飯前なのでございますが、
今回の更新を楽しみにしていた方もどうせいないだろうということで勝手にやります。やらせてもらいます。

で、今回のテーマ”無知であること、知る前の状態”というのは、
その”知ってしまった状態”から遡って、無知であること、知らなかった状態というのを語ります。
たとえば、我々は我々の常識とか価値観というものを持って普段生きているわけですが
それは生まれてから今までにおける自分で考えたことや周囲から学んだことなどの経験に基づくもので
これを”知らない”ことには、まあ普通はできないと思います。
しかしながら、私たちは”知らなかったこと”を”知った”瞬間というものを”知っている”わけです。
たとえば水しか知らない者が、水溜りを知り、池を知り、湖を知り、川を知り、海を知る、とそこには
それぞれの感動やら何やらが生まれるんじゃないだろうかと思います。
もっと簡単に言ってしまえば知らない土地に旅行に行くようなもんです。
けれど、人間というのは恐ろしいもので、常に新しい刺激に対して慣れることができるのですな。
旅行の話でいえば、その観光で行った地に住んでしまえば、新鮮味だとかありがたみなんていうものは
軽々と失われてしまうわけです。
似たような話だと、自分の地元にある観光地には人はあまり行かないというパターンがあるそうな。

話を戻して、知ってしまってからでは、どんなに楽しかったことでも再び同じように
楽しむことができない、というのが知識の欠点であるといえるのではないでしょうか。
無知を有知に、知らなかったことを知るということは知識を得た分だけ、何か新しいことを失う。
というのはとても恐ろしいことのように感じますね。
そうはいってもやはり我々は人である以上、知識を身につけて生きていかねばならないことは事実であります。

まあ今回こんなテーマを選んだのは、兄の友人である私が聞いたちょっとした切ない昔話と
いわゆる初恋の感動というのが関係・・・




してるわけないだろバーカ!!




知識を得るための勉強疲れから、現実逃避をしつつも頑張って記事を書き続ける兄の友人なのであった。~完~
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Author:兄の友人
兄の友人こと私がくだらない話をするだけのブログ。
不定期更新なくせに、タイムリーなネタで無理矢理検索ヒットを狙うという、あざとい一面も。

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