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無知であるということ。あるいは知る前の状態

今週もやってまいりました兄の友人アワー!
パーソナリティは私、素潜りの達人こと兄の友人が務めさせていただきます!


ウソです


さてさて、前回のフリで集合だっけ・・・違う。集団と個人についての後編をやります!
と言ったような気がしますが、今日は気分が乗らないので全く違うテーマで更新いたします。
なにぶん気まぐれが信条の兄の友人としてはこれくらい朝飯前なのでございますが、
今回の更新を楽しみにしていた方もどうせいないだろうということで勝手にやります。やらせてもらいます。

で、今回のテーマ”無知であること、知る前の状態”というのは、
その”知ってしまった状態”から遡って、無知であること、知らなかった状態というのを語ります。
たとえば、我々は我々の常識とか価値観というものを持って普段生きているわけですが
それは生まれてから今までにおける自分で考えたことや周囲から学んだことなどの経験に基づくもので
これを”知らない”ことには、まあ普通はできないと思います。
しかしながら、私たちは”知らなかったこと”を”知った”瞬間というものを”知っている”わけです。
たとえば水しか知らない者が、水溜りを知り、池を知り、湖を知り、川を知り、海を知る、とそこには
それぞれの感動やら何やらが生まれるんじゃないだろうかと思います。
もっと簡単に言ってしまえば知らない土地に旅行に行くようなもんです。
けれど、人間というのは恐ろしいもので、常に新しい刺激に対して慣れることができるのですな。
旅行の話でいえば、その観光で行った地に住んでしまえば、新鮮味だとかありがたみなんていうものは
軽々と失われてしまうわけです。
似たような話だと、自分の地元にある観光地には人はあまり行かないというパターンがあるそうな。

話を戻して、知ってしまってからでは、どんなに楽しかったことでも再び同じように
楽しむことができない、というのが知識の欠点であるといえるのではないでしょうか。
無知を有知に、知らなかったことを知るということは知識を得た分だけ、何か新しいことを失う。
というのはとても恐ろしいことのように感じますね。
そうはいってもやはり我々は人である以上、知識を身につけて生きていかねばならないことは事実であります。

まあ今回こんなテーマを選んだのは、兄の友人である私が聞いたちょっとした切ない昔話と
いわゆる初恋の感動というのが関係・・・




してるわけないだろバーカ!!




知識を得るための勉強疲れから、現実逃避をしつつも頑張って記事を書き続ける兄の友人なのであった。~完~
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集団と個人について

どーもどーも、新しい自転車を買ったその日に雨でずぶ濡れ
しかもパンクして有頂天の兄の友人です。


嘘です


ぶっちゃけいきなり本題! に入ると、今回のテーマは集団と個人についてです。
集団と個人について濃厚なトークを・・・と思ったのですが、実はネタを忘れてしまいました。
いつも兄の友人の机に置いてあったりなかったりするネタメモには「集団と個人」という走り書きが
あるのですが、まったくもって内容が思い出せません。なので今から適当に考えて書いちゃいます。
でも、久しぶりの更新で頭は回らないし、指の動きも鈍いようなのでリハビリがてら適当に兄の友人節を
振舞いたいと思います。

はじめましての方、こんにちは。
はじめましてじゃない方もこんにちは。
兄の友人です。最近更新してなかったじゃないか! とか寂しかったぜ! とかそういう意見があったら
ぜひお便りが欲しいものです。まあこんなブログ読んでる人間いないんで、
この場所は完全に兄の友人の独り言専用なんですけどね。
そんな感じでこのブログでは兄の友人こと私が日々お風呂で思いついたテーマとかを
その場のノリでまとめあげて不定期的に更新している次第でございます。
さてさて、それではそろそろ本題の方にいってみましょうか。

お題は個人と集団について、です。テキストを持ってる人は132ページを開いて下さいね。
個人とは我々人間一人ひとりを指しているもので、集団はその個人が適当に集まって構成されたもの、と考えてもらって良いです。良いと思います。
そして個人がそれぞれ適当数集まることで形成された集団には常に一定の志向があります。
集団の大きさというのは一定ではありません。たとえば仲の良い友人が2,3人集まっても集団と言えるし、
日本人全体を指して集団と呼ぶこともあるでしょう。
さて、これらのことを念頭において、個人と集団について論じてみましょう。

個人にはさまざまな志向が存在します。志向と、嗜好の指向ですな。いや、ちょっとした言葉遊びです。
で、それが集団になるとどうなるのか。変化するのか、しないのか。
それはまあ、やってみないとわからないでしょう。
たとえば、似たような志向が重なればそれは個人のときより、より大きな志向を持つ集団になるかもしれませんし、反発し合うような志向であれば汎用性の高い志向を持つ集団、というものになる、といった具合にさまざまな変化、進化、退化が想定されるわけです。
より簡単に言ってしまうなら、前者は共有した趣味を持つものの集まり、たとえば部活とかサークルとかそういったもの。後者は無造作に偶然に集まった小学校のクラスみたいなものをイメージしてもらえば良いかと思います。

はてさてそんな集団ですが、当然集まることがあれば散ることもあるでしょう。その理由はまあ、色々でしょうが、ひとまとまりになって存在していた集団から櫛の歯が欠けるように個人がいなくなったらどうなるのでしょうか。問題となるのは二点、個人を欠いた集団の行方と、集団から欠けた個人の行方、です。
個人を欠いた集団はどうなるのか。たとえばその穴を埋めるように新しい個人を探してみたり、その個人が欠けたばかりに、違う志向を持つ集団に変化したり、はたまた何も変化しなかったり。
一方で欠けた個人は新しい集団を探すのでしょうか。それとも個人そのものを変化させるのでしょうか。あるいは集団というものの存在を忌避し、個人であり続けるようになってしまうのでしょうか。

などと言いつつそろそろ適当なところでオチをつけないと、記事が長くなりすぎているような気がしないでも
ないのですが、着地点が定まらないので今回の話は前編ということにして次回の後編に続く、というのはどうでしょうか。

ダメですか。

はい、大丈夫ですね。

そういうわけで今回はこれくらいにして失礼させていただきたいと思います。

今回は何が言いたかったかというと


兄の友人は集団からはぐれた独り者だってことだよ! チクショー!

こんなブログ見てないで義援金でも送ってろ!

最近好きな魔術師は小崎摩津方

地震すごかったですね。
生存確認なんてする必要がないのはわかっていました。
わかっていました・・・が! 生存確認です。生きています。



ウソではありません



兄の友人です。
そんな感じで最後に更新したのが去年? というレベルなんですけれど
まあ兄の友人は相変わらず充実した快適な怠けた生活をしている所存で御座います。

さて今回はテーマも思いつかなかったので適当なタイトルを入れてしまったわけですが、
小崎摩津方さんを知ってるっていう人は・・・たぶんいないでしょうな。
それは置いておいて、最近江戸川乱歩を読んでおります。
まあ乱歩といえば有名なのが怪人二十面相なわけですが、あれはだいぶ前に読破したので
今読んでいるのはそれ以外の作品です。
久しぶりの乱歩の文章、そこはかとなく懐かしい感じで楽しいのですが
いかんせん古い調子で書かれている文章の読みづらさというのはぬぐえませんな。
他にも古い時代の作品を読みたいのに手が出ないのはやはり普通に本を読むだけでなく
勉強しないと読めないというのが大きいのでしょうね。

今回は特に面白くもなんともない更新でしたが、次回はまた何かテーマを考えて書きたいと思います。

今回のまとめ

こんなページ見てないでPCの電源切って節電しろよバーカ!
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Author:兄の友人
兄の友人こと私がくだらない話をするだけのブログ。
不定期更新なくせに、タイムリーなネタで無理矢理検索ヒットを狙うという、あざとい一面も。

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